🎬 実写版『秒速5センチメートル』📽️奥山由之が描く世界

映画レビュー
「電車のつり革」 「電車の連結部」 「踏切」 「電柱」 「水溜まりやミラー越しの反転の世界」 “日常の断片”が アニメ版『秒速5センチメートル』の 新海誠リスペクトカット ポカリスエットのような 光が溶け込む世界 もう戻れない一瞬の眩しさを捉える 奥山由之の映像の世界に 相変わらずキュンとする そして私は今日 娘のスマホから流れる BPM180の曲を熱唱する 孫のパンクロックをBGMに 街が夜に染まりそうな 電柱のしたで 会話する中学生カップルに 車の窓越しから 秒速5センチメートルの世界を見た

 

┬┴┬┴ Interpretation ┬┴┬┴

Ⅰ.新海誠リスペクトカット 「電車のつり革」「電車の連結部」「踏切」「電柱」「水溜まりとミラー越しの反転の世界」—— それらの“日常の断片”は、アニメ版『秒速5センチメートル』の記憶を呼び起こす。 奥山由之監督は、それを単なる引用としてではなく、 **「時間の手ざわりを受け継ぐための構図」**として配置していたように感じた。 新海誠が描いてきたのは、 光と影、時間と距離のあいだに漂う“言葉にならないもの”。 奥山監督のレンズは、その“間”に静かに息づいていた。 新海誠が、感情から光を放つ人だとしたら、 奥山由之は、感情に光を差し込む人なのかもしれない。 Ⅱ.奥山由之の映像美 奥山監督が手掛けた ポカリスエットのCMのような、 アオハルな儚さと清涼感が同居する光の世界。 奥山由之の映像には、どこか“体温”がある。 光が被写体を照らすのではなく、 人と空気のあいだに溶けていく。 特に海のシーンでは、その光が一瞬の眩しさとして立ち上がる。 アオハルのきらめきと、時間の輪郭。 彼の光は、再現ではなく、 “記憶になりゆく瞬間”を撮っているよう。 その映像に触れていると、 時間というものが「流れる」というより、 「溶けて込んでいく」ものに思えてくる。 Ⅲ.私の「秒速5センチメートル」 映画を観た日の夕方、 保育園の帰り道。 後部座席では、 3歳の孫が娘のスマホから流れるWANIMAの曲を全力で熱唱していた。 あまりの速さに、思わず笑ってしまうほどだった。 BPMにしたら、きっと180を超えていたと思う。 運転席の娘は、ハンドルを握りながら、 今日一日を思い返しているようだった。 仕事、家事、育児—— 彼女の速度は、計り知れない。 フロントガラスの向こうには、 もう街が夜に染まりそうな電柱のしたで、 会話する中学生カップル。 車で通りすぎたその一瞬。 たぶん時速は20キロメートルくらい。 けれど、制服で向き合う2人の時間は、 “秒速5センチメートル”に見えた。 同じ時間軸の中で、 孫は分速180BPMのリズムを生き、 娘は計り知れない速度で日々を駆け抜け、 私は時速20キロメートルで乗っかり、 制服の2人は 秒速5センチメートルで向き合っていた。 速さも、単位も、それぞれ違う。 でも、みんな同じ時間の中で、 それぞれの速度で“いま”を生きている。 そしてそれぞれが、 かつて誰かの速度にいたこともあれば、 いつかまた、 別の速度にたどりつくのかもしれない。 この映画をみると、 日常の一瞬が、 映画のワンシーンに見えてくる。 きっとまだ光を差せてない物語が、 すぐとなりで眠っているだけなのかもしれない。

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🎞 アニメ版『秒速5センチメートル』

実写版とあわせて、ぜひアニメ版の
光と時間が溶け合う世界を感じてみてください。

🎞 中国アニメ映画『詩季織々』

中国の3つの都市「北京」「広州(・広州付近)」「上海」をそれぞれ舞台とした、
3編から成るオムニバスアニメ映画。
『秒速5センチメートル』の構造・テーマ・映像美と“対話”しているような作品です。
あなたも、一緒に覗いてみませんか?

Before watching

「都市の近代化と過去の住宅」
「祖母の家/田舎の風景」
「食・服・住」という日常の断片——

新海誠の描いた「光と時間」の世界が、別の地で、別の言語で、またひとつ息づいている。そんな“リスペクトのかたち”を感じる予感がしています。

中国版を観て、またスパークルを放ちたくなったらレビューを書きます。
(※レビューが完成したら、ここにリンクを追記予定)

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